江の島とサムエル・コッキング

この夏、東京にでてきて以来初めて江の島に遊びにいくことになりそうなので、ざっと観光スポットなどを調べていた。旅行は出発するまでが一番楽しいというけれど、今はインターネットがあるおかげで情報収集の方法や集まる情報の内容は昔と全然ちがうんだろうなぁ。

江の島には植物園があるという。2000年代の初めにリニューアルして江の島サムエル・コッキング苑となり、展望台(江の島展望灯台)を含む観光施設となっている……と言えるほど、人が入っているという情報もないのだが大丈夫か。

施設名にあるサミュエル・コッキング Sammuel Cocking (1842-1914)は19世紀後半に日本にやってきた貿易商人である。横浜でコッキング商会を興し雑貨や化学品類の貿易に携わり、また江の島に近代的な植物園を築いた。これ自体は関東大震災で倒壊したらしいが、その上に戦後になって藤沢市の手で江の島植物園が開設された。上述のリニューアルの際にコッキングの植物園の遺構が発掘されて、現在は施設の一部として一般公開されている。

19世紀はいわゆる開国の直後に日本にやってきて活躍した商人であり、とても興味深い人物である。元々はアイルランド生まれだし、[訂正――下記英語論文や英語版Wikipediaではロンドン生まれとのこと]幼少のころに両親とともにオーストラリアに住んでいたこともあるようで、なんともグローバルな来歴をもつ商人である。江の島は外国人居留地内にあったので、彼らの行楽と休養の地として親しまれた。だが、なんでまた江の島に植物園を開こうなどとコッキングは思ったのか。コッキングのバックグラウンドや、経済活動とグローバルな学術世界の影響関係のなかでコッキングの活動も位置づけられなければならないだろう。

 

英語版のWikipedia [26 July 2015 accessed]

One famous incident involved Cocking being offered the Kamakura Daibutsu for 'a song'. He refused to buy the Daibutsu - no doubt feeling it had too much cultural importance to Japan and should remain in the country.

あっ()

発電所も開設しているし(後の横浜共同電燈会社)、日本史のいろいろな流れに関わっているねぇ。

 

かように興味深い人物ながら、研究は多くないようだ。江の島では大森貝塚で有名なモースが研究所を開いたこともあるようだが、そちらにくらべて注目度で劣るのはコッキングが商人だからであろうか。

 

Gartian, Luke (2009), "Samuel Cocking and the Rise of Japanese Photography", History of Photography, 33, 2 (Special Issue: Photography in Nineteenth-Century Japan), pp. 145-64.

この論文が参照していて、more reliableとしているものは

内海孝 (2004)、「外国人と藤沢――サミュエル・コッキングの事歴を中心に」藤沢市史編さん委員会編『藤沢市史研究』37、藤沢: 藤沢市文書館、11-30頁。

 

→読みました。藤沢市の歴史講座での講義を下敷きにしている。

 前半では、開国による藤沢地域の「近代的な新しい方向を、特徴づけ」たものを挙げている。新しい価値観(安息日など)との接触、横浜の開港のインパクト、藤沢近辺の遊歩区域の設定という3つの要素があった(論述が多少入り組んでいるが、これらは相互に関連している)。さらに、横浜での生糸貿易の展開が藤沢地域でも盛進社という会社を中心とした生糸生産を促進した。また、藤沢地域は大山および江の島という観光ルートを持ち、外国人の「Two day's trip」の行き先として人気を得た。

 後半では、藤沢周辺と関わりのある外国人・外国人商会を3つ挙げるが、主に検討の対象になるのはコッキングであり、いくつかの基本的事実の曖昧な部分を議論する。コッキングが藤沢さらには日本全体の歴史の流れに影響を及ぼしたことを確認して論文は締めくくられている。

 短い論文のため、コッキングの活動の意義が完全に明らかにされたとはいいがたい。経済活動の実態も気になるところであるし、上述のように近代科学の文脈でも意義を見出すことができよう。この論文の前半と後半をつなぐべく、当時の日本人と外国人の相互の視線を調査することも必要だろう。コッキングの経済活動や植物園造園はどのように日本人の目に映ったのだろうか。コッキングは日本人をどのようにみただろうか。

 

出発点となっているのは、論拠が曖昧であるらしいが、

内田輝彦 (1961年)『江の島植物園とサムエル・コッキング』藤沢: 藤沢市教育委員会。[出版社の情報が異なるものが出てくるが上記英語論文で参照されているものを載せる]

 

郷土史・地域史・地方史に埋まっているだけではもったいない。