法廷通訳人

丁海玉(チョン・ヘオク)
法廷通訳人――裁判所で日本語と韓国語のあいだを行き来する
神奈川県:港の人、2015年、245頁。

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はじめに

法廷通訳の仕事
そこに立たされる人生
日本語と韓国語のあいだを行き来する
裁判員裁判の法廷にて
ありがとう(エピローグ)


おわりに
参考文献・文献

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 通訳という職業というと言語を操り異なる言語話者間のコミュニケーションを媒介するという技術的側面を思い浮かべがちなので、法廷という連辞が付くとどこか耳慣れない印象を帯びてくる。いろいろな媒体で出されたエッセイをまとめた本で、大阪の裁判所を舞台に著者の経験したことが平易な言葉で綴られている。冒頭からは同じ仕事をしていた父親の姿が著者の原風景をなしていることが窺える。著者自身は在日韓国人2世だが日本生まれの日本語母語話者であり、留学を通して韓国語を身につけている。

 大まかに本書を腑分けすると、裁判で関わった人々の様子を職業人の視点で描きながら、その人物の来歴や内心に思いを致す前半部、通訳の中でも法廷通訳人特有の言語運用の難しさがよくわかる中盤部、そして裁判員裁判の導入により大きく変わった司法環境を法廷通訳人という立場から活写した終盤部から成る。

 中盤部で見られる言語間の齟齬やクレオール的状況の描写を通して、文化的な境界を行き来する通訳の面白さと困難に触れることができる。二つのエピソードが印象深い。一つは、凶器の「包丁」の訳語に<シッカル>を用いた裁判の話が三章目「日本語と韓国語のあいだを行き来する」の冒頭にある。判決後に著者は被告人女性の知人から「あんな、重い包丁じゃない〔…〕あんたの訳が、変やった」という抗議を受け、それが引っ掛かりとなって長く鈍痛を生み続ける。「包丁」ぴったりの概念内容を持つ単語がないためにあれこれ参照して選んだ単語が、母語話者である被告人らにはずっと恐ろしく響いていたのではないかと。

 二つ目は、建設現場で長く働いてきた被告人の裁判で出た<ハスリ>するという単語を著者が処理できず困ったところ、被告人の説明で裁判官や弁護人だけが認識するくだり。実は日本語の「はつり(斫り)」が韓国語に定着したもので、他にもたくさんあることが明らかになる。日韓両言語のチャンポンで生まれる言葉もあって、言葉に歴史と生活が詰まっていることを示すよい例だと思う。

 これらを面白く読んだうえで、本書では、法廷通訳人としての著者の矜持とでも言うものが強い印象を与える。公平公正さが肝要な点は他の司法に関わる職業と共通するが、なおかつ法廷通訳人は(おそらく弁護人や検察官に比較すれば)中立であるように要請されるのだ。いろんな場面で強調されているが、その中に、しばしば裁判中に発言者の語気が強くなって通訳を置いてけぼりにしてしまう状況が出てくる。著者の心の声はお願いだからもう少し落ち着いてしゃべって、あなたのためなのに、と苦々しく懇願するのだが、そう口にすることはできない。あくまでも技術的に追いつくのが難しいことを挙手で示すことができるのみである。他にも、事件関係者の背景に深入りすることも控えなければならなかったりする。素人目には周囲に言葉を分かってもらえない被告人を唯一「直接」理解し支えるための存在であるかのように映る。けれども、法廷内の発話全てを一つひとつ訳すことに重点がある法廷通訳人に偏りは許されないのである。通訳の仕事、実際に活躍する現場の多様性を認識させてくれるよい本だった。