すき焼きした

今年度は自宅に人を呼んですき焼きをすることが多かった。私の親しんできたすき焼きは関西風で、東京で出会った友人の多くが物珍しがってくれた。といっても、家族で囲んだ食卓を思い出しながら見よう見まねで作ったにすぎないのだが。

やっぱり肉が大事で、一番美味しかったのは奮発して近所の商店街の肉屋を使ったとき。他にも、ネギの切り方だのしらたきの量だの、くだらないことから食べ終わって遊んだゲームまでいろいろ思い出される。とても楽しかった。

 

東京を離れることになり、最後の晩のこと。友人が新宿のすき焼き店を紹介してくれた。

 

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飛入りだというのに予約客が来るまでの時間をあてがってくれて、店のおばさまが丁寧に作ってくれた。関東風の濃厚な割下に肉も野菜もよく馴染んでいました。家で関東風を作ったときは肉煮になってしまっていたから、これがホンモノかと。すばらしい時間でした。

 

店のおばさまは海外からのお客さんにも英語でテキパキと対応されていて、国際化のなかで社会を活性化させるのはこういう力だなと思った次第。

 

さようなら、東京。また来ます。

 

ラテン語はじめました

計画性のない人間は唐突にものごとをはじめるものなのだ。

ラテン語勉強したいなって、ずっとずっと思ってたしいくらか学んだことは実はある。でも、そんなの身になってるわけない。すっからかん。

 

むかし購入した次の教科書を読む。

Ørberg, Hans H. (1991) Lingua latina per se illustrata, Part I: Familia romana, Domus Latina.

 

全編ラテン語。読めるわけない。

と、思ったらそうでもない。冒頭の数章は構文の簡単な文章で書かれているし、脚注として名詞や動詞が表すものがイラストで描かれているし、代名詞の指示対象も書いてくれている。

 

つまづくとしたら名詞や動詞の変化だけど、むかし学んだときの記憶が思い出されてきてなんとかなってる。ラテン語の文法書も一応傍らにおいて進めている。

 

なによりもよいところは、同じ構文と単語を手を替え品を替え反復して読む体験をできること。

Iūlius vir Rōmānus est. Aemilia fēmina Rōmāna est. Mārcus est puer Rōmānus. Quīntus quoque puer Rōmānus est. Iūlia est puella Rōmāna.

 

第2章の冒頭のはこんな感じ。もうええわ、となるところだけど、構文が少しずつ難しくなればこういう徹底した反復が効いてくると思う。初級英語を思い出すけれど、もっとラディカル。

 

文章も単純な反復をするために突飛さをましている。

第3章では、Iūliaが歌っていたら兄Mārcusが腹を立ててIūliaを殴り、それをみたQuīntusがMārcusを殴り、母親Aemiliaが呼ばれてやってきてMārcusを叱る。でも、母親が呼んでも父親Iūliusは来ない。なにしてるんだ。寝てた。きこえませーん。そして、ようやくやってきた父親が、Mārcusよなんてことをしたんだ、と怒っておしまい。

やはり単純な展開と反復でテンポよく読めるのでやっててたのしい。今のうちだけとも言えるけど、やっぱり入りは大事でしょうし。

 

早く次の章を読もう。

英会話したいなって

英語をもっともっとできるようになりたくて、オンライン英会話を試しに始めてみようと情報収集をしている。リスニングやスピーキングを鍛えたいと思った次第。

特に、リスニングが壊滅的にできないのだけれど、原因は目下、二つ思いついている。

一つは、口や耳や頭が英語の音を実際に使われるがままに捉えられないこと。FとV、LとRの使い分けなんて中学校のころから教える側は口をすっぱくして伝えてきたことだと思うし、仕組みはもちろん分かる。それでも間違えるんだよね。

これにはもっと深い原因があるのではないかと最近は疑っている。というのも、わたし日本語のリスニングもあんまり得意じゃなくて。日本語でも相手が何を言っているのか聞き取れないことが時々ある。それはもしかすると、反対から言えば、この人生何年という間、あんまり人とおしゃべりするということをしてこなかったからなんじゃないかとも思ったりしている。自分で音を作ることが本当に少なかった。発声器官で作られる音に慣れていないんだ。

これが英語の練習上どのように問題になるかというと、例えばシャドースピーキングがそれはそれは苦手だ。口が回らない。どのような口をすれば該当の音が出るのか、聞いた瞬間に動かせない。けっこう困ってる。

二つ目としては、英語の語彙や構文の理解する能力が不足しているということ。読むだけならそこそこできるような気もしているけど、それも所詮は井の中の蛙の感覚にすぎないのかなと、あくまで周囲と比べ比べに思うだけではあるけれど。英語を読んでいるときどうしても日本語で考えているなということが、未だにままある。語彙や構文、さらに言えば英語の論理や考え方を体得するとはなんなんだろう。わたしにとっては、日本語でも語彙は曖昧なイメージでやり取りされている。構文なんてぐちゃぐちゃだ。言語を運用するということととことん相性が悪いのだろうか。

と、パッとしないことばかり考えてしまうのが悪い癖。もっと開き直っていったほうがよいでしょ。たぶん。うーん。オンライン英会話という選択肢はとりあえずだけど、やってみたい。

 

パラミタ・ミュージアムに行った話

先日のこと。誘われたので、三重県菰野町にあるPARAMITA Museumに遊びに行ってきた。湯の山温泉の麓のあたりだけれど、中勢の海岸ちかくの民は近所と海岸沿いの電車での移動しかしないから、めったなことが無ければこのあたりは来ないゆえ新鮮。御在所ロープウェイなんて10年以上訪れていないからな……。

●●●● PARAMITA museum

正直なにがあるんだと思いながら行きましたが、なかなか変わったものが収められているのだった。

 

特別展の端境期だったので常設展をのんびり観た。6部屋(と裏庭)くらいに分かれていたうちおもしろかった二つを紹介しよう。

まずはRoom1に収められた人間国宝、江里佐代子(1945-2007)の截金(きりかね)。金箔で飾られたおどろくほど繊細優美な香合(こうごう)・盒子(ごうす)が並びます。最初に工芸技術の説明がサラッとあるだけで個別の品についての説明はほとんどないため、基本的には眺めてゆくのみではあるけれど、それはそれは美しい。一つくらいほしい。

次にRoom3の池田満寿夫(1934-97)の仏教芸術。この美術館が作られるきっかけともなった彼の「般若心経」シリーズという陶芸作品である。有名らしい。公式HPの画像で分かるが、まぁ赤茶けたかたまりがおかれた台がドンドンドンと列を成していてそれぞれの焼き物には顔がボコボコボコっと彫ってあったりするのだから、なかなか異様な雰囲気である。菩薩の顔をでかでかと形成したものが一つあるのだが、それが一目見て最近気になっている某声優さんの顔に似ていてなんだかおかしかった。柔和な顔つきがよい。

 

ついでに、すぐ近くのアクアイグニスというレジャー施設にも行きました。

アクアイグニス 湯の山温泉にある癒しと食の総合リゾート

温泉。パティシエかりんとう売ってた。どういう人が遊びにくるのかよくわからないが。

もうちょっと山をのぼれば湯の山温泉の中心地もあるし、わざわざ行くには物足りないかもしれないが、つかれたときの保養地にぜひ?